クソどうでもいいことを真面目に書きます

誰も気にしないようなことを一生懸命考えます

僕が英語を勉強しない理由

 「これからの時代は英語」「英語さえできれば何とかなる」などと、猫も杓子も英語学習に追われている現在の日本ですが、本当に私たちは英語を勉強する必要があるのでしょうか。

 数学や理科や社会といった科目は、「卒業したら意味のないもの」として扱われるのに、なぜ英語だけは、卒業した後もついて回るのでしょうか。



 情報社会において英語が必要となるとされる根拠の一つに、「インターネットの情報はほとんど英語で書かれている」という事実があります。しかし、日本語で書 かれた情報ですらすべてを追いきれないのに、なぜ英語で書かれた情報にまで手を出す余裕があるのでしょうか。日本人にとって有用な情報だったら、誰かが日 本語に訳してくれます。日本語で書かれていない情報は、日本人にとっては必要でない情報なのです。



 だれもが、理系の研究 者と話せば自分の理系的な知識の無さを感じるし、経営者と話せば自分の経営学的な知識の無さを感じるはずです。また、そのことを不思議なこと、恥ずかしい こととは思わないはずです。それは、理系的な知識や経営学的な知識が「専門的な技能」であることから、一般的な人(専門外の人)は学習していないため、専 門家との「共通言語」を知らなくても当然という意識があるからです。

 「研究者と話す」「経営者と話す」といった専門的な仕事に就いている人々にとっては、そのような「専門的な技能」は必要となります。逆に言えば、そのような専門的な仕事に就いていない人々にとっては必要のないことなのです。

 果たして、どれほどの日本人が本当に英語が必要な仕事に就いているのでしょうか。それほど多い割合ではないでしょう。
さらに、もしも必要な場合であっても、話せる人の力を借りればいいだけです。

 こう考えると、結局は英語も「専門的な技能」の一つでしかないのです。なぜ研究者や経営者とは話が通じないのが「あたりまえ」なのに、外国人と話が通じないのは「あたりまえ」ではないのでしょうか。なぜ一般の人でも英語を学ぶ必要があるのでしょうか。

 必要のない英語を勉強する時間があったら、他のもっと役立つことを勉強したり、アイドルの握手会に行ったりしている方がよっぽど生産的で有意義だと思います。

 各自の得意分野に特化した活動をしないことは、経済学的にも非効率です(参考→比較優位


 もしも日本人全員が英語を一生懸命に勉強するようになったら、それは日本がより良くなるための一歩なのではなく、むしろ衰退への入り口になると考えます。英語学習に無駄な時間を大量に奪われて、自分自身にとって本当に必要なものを見失ってしまうことになるかもしれません。
現在のような、「英語原理主義」とも言える風潮は、英語を公用語とする欧米諸国の陰謀ではないかとすら感じます。

 「やるべきこと」を勝手に決めないでください。自分の「やるべきこと」くらいは自分で考えて決められます。

 だいたい、似たようなことが日本には多すぎます。このような無言の圧力が積み重なって、自殺者増加の原因の一端となっているのではないかと感じています。



 僕は決して、英語は勉強するべきではない、と言いたいわけではありません。英語を使った仕事がしたい人、世界中で活躍したい人はどうぞ大いに勉強してください。英語以外の強みを持ったうえで、さらに英語が話せるとなれば、とても素晴らしいことだと思います。
 
 ただ、苦手な人や必要と思わない人にまで英語の学習を押し付けていくのはやめるべきです。一人ひとりが自分の得意なことに特化して学習していくことが許され る環境を作ることが、多くの人が生きやすくなる社会づくりの一歩となります。日本人全員が一様に英語を勉強するのは、国家的に大きな損失です。



 あなたにとって英語は本当に必要ですか?「英語は必要」だと思い込まされていませんか?

「選抜総選挙」は先行指数なのか

 日経平均株価やTOPIXのような株価指数は、先行指数と呼ばれ、景気変動よりも先に動くとされています。 他には、企業の先行き見通しの明るさを示す新規求人数や、どれほど積極的に設備投資が行われているかを示す新設住宅着工床面積などがあります。

 

 ところで、「選抜総選挙」は今のところ過去一年間の活躍によって順位を決めるもの、つまり遅行指数であるという解釈がなされることが多いようですが、実は先行指数的な性質の方が強いのではないかと感じています。

 金融市場の動きを予想するのに見逃せない要因として、「投資家の関心(もしくは市場の関心)」というキーワードがあります。 これは、金融市場がどのテーマに反応して動いているかということを表します。例えば2012年6月16日現在の場合は、欧州債務危機、ギリシャで行われる再選挙、ロンドンオリンピック、日米欧の金融政策などです。これに含まれない、例えば日本の債務残高のようなテーマは今のところは市場は「関心がない」ため、無いようなものとして扱われています。

 もちろん、市場の関心はいつほかのテーマに移るのかわからないため、いつ日本の債務残高に関心が集まり、日本国債の価格に影響を与え始めるのかはわかりません。

 投資家の関心が高まっているときには実力から大きくかい離した、「適切でない」価格形成がされることが多くあります。 このことに関しては、日本におけるバブル経済が典型的な例です。あの時代は、誰もが日本の株や土地に強い関心を持っていたことにより、異常に資金供給が増加したことで、あのように「理屈では説明できない、実力からはかけ離れた」価格での取引が行われていました。

 

 先日行われた第4回選抜総選挙において指原さんは4位という結果になりました。しかし、実はこのような「適切ではない」評価がなされてしまったのではないかと感じています。 すべての投資家がギリシャの動向に敏感になっているのと同様に、多くのメディアが指原の動向に敏感になっていることは、皆さんも感じていたことと思います。

 このような状態では、選抜総選挙においても適正な順位が付けられなくなるのではないかと考えています。指原自身に責任はなくても、周辺の期待の高まりによって祭り上げられてしまうわけです。

 

 しかし、指原が「4位の器」ではないと言いたいわけでは決してありません。 ここで、第4回選抜総選挙における篠田麻里子さんのコメントを引用させていただきます

「こんな素敵な順位をありがとうございます。温かさや、ありがたみを感じられるのは総選挙だからです。後輩に席を譲れと言う方もいるかもしれません。でも私は席を譲らないと上に上がれない子は、AKBで勝てないと思います。悔しい気持ちをぶつけて、潰すつもりできてください。私はいつでも待っています。そんな頼もしい後輩が出てきたら、私は笑顔で卒業したいと思います。この票数は来年への期待の数字だと思います」

 多くのファンの方は、「潰すつもりで来てください」のような、後輩たちへの挑発の言葉に注目しているようですが、僕は最後の「この票数は来年への期待の数字だと思います」に注目しました。 この言葉は、まさに篠田さんが「選抜総選挙は先行指数である」という認識を持っていることの表れではないでしょうか。

 選抜総選挙自体の知名度が大きく高まる中で、周囲の「思惑」というのも複雑になってきています。たくさんのマネーが流入し、規模や流動性が高まっていく過程で、選抜総選挙の先行指数としての有効性も高まっていくものだと考えます。

 

 指原の順位には、「今までの活躍を考えると4位」なのではなく、「一年後には4位の器になっているだろう」というファンたちの予想や期待が反映されているものであると解釈するべきだと思うのです。